移植から心拍確認まで
2回目の移植で心拍の確認まで進むことができました。
本当は色々とついったーで呟きたかったのだけど、1回目のこと(hCG18という低すぎる数値を叩き出して着床はしたけど妊娠継続不可)もあったのでとりあえず心拍を確認出来るまではと、こう、スマホから手を引くというか、…ううん嘘……よく覗いてた…。
その間にあったことをちょこちょことPCのメモ帳にしたためていたので記録として放出。(※エコー写真とか受精卵の写真とか諸々掲載しています)
ところで、今回の受精卵を掛け合わせたであろう採卵日は採卵後映画を観に行きました。学生時代から追っかけてる国民的アニメの映画公開初日。私おたくなので。えへ。
十何年も前に一度映画に出たきりのキャラクターがこの度の2019年の新作映画で見切れ出演したということに映画館から出た私は号泣するわけなんですけど(公開初日なので前情報がなかった)私が何年もの間、作品のファンたちやスタッフたちから忘れ去られようとも、ひたすら追い続けていた人生を賭けての推しが、十ウン年ぶりに公式に姿を現したっていう涙なくしては語れないおたくの秘話があるんですよ。まぁそこはどうでもいいですね。しかしこの日に爆誕した全ての受精卵が愛しいのであった。蛇足。
2回目の移植当日
12/11 BT0
15:00~ 移植手術。グレードは5AA。
まん丸受精卵から半分以上出ちゃってるせっかちなやつを移植。
手術前に写真見せながら「外に出かけてますけど心配ないですよ」って培養士さんが言ってたんだけど、いざ手術台に上がりLIVE映像見せられた時にはもうほぼほぼ出ちゃってて、看護士さんが無言でモニター消してた。大丈夫か。
(術前の受精卵の写真)
~夫の世迷い言~
夫「!? これは双子なのでは!?」(術前写真でのひょうたんを見て)
夫「アッ…きりたんぽ(膣内の血液拭う太い綿棒)に血が…っ!処女…?」(出血を見て)
前回は手術台からストレッチャーに移る時のがさつな行動で周囲を心配させたので今回は大人しく慎重に。
そう言えば前回の移植はそれほど痛みを伴わなかったんですけど、今回はちょっと痛かったな。多分前回は初めてということもあって「あ、思ったより痛くない!」だったのか。そして今回は「前回に比べて痛い!」っていう。騒がしいなまったく。
判定までの12日間
一日おきのエストラーナテープ3枚
毎日3回(朝昼晩)のルティナス膣剤
12/14 BT3 血液検査
12/17 BT6 血液検査
血液検査は上記の薬量が適正かを調べるためらしいので妊娠してるかしてないかってのはその場で教えてくれません。いや、うん、でもあれでしょ、hCGの値とか見てるでしょ。教えてくれたっていいじゃん……って思いながら片道1時間30分かけて病院に通ってました。
それにしても前回はいっぱい歩いていたせいか時々お腹がすごく痛くなったり、ちょっとした出血(着床出血だと思っていた)とかどす黒い出血(あ、これもうダメだ…ってやつ)があったんですけど、今回はなにもない。静かなるドン。そして笑っちゃうくらい体温がガタガタ。
12/11 BT0 … 36.58
12/12 BT1 … 36.77
12/13 BT2 … 36.82
12/14 BT3 … 36.58
12/15 BT4 … 36.80
12/16 BT5 … 36.98
12/17 BT6 … 36.66
12/18 BT7 … 36.75
12/19 BT8 … 36.90
12/20 BT9 … 36.49
12/21 BT10 … 36.76
12/22 BT11 … 36.72
BT9は精神的な死に追いやられていた気がします。
妊娠判定
12/23 BT12 判定日
時期的に夫が繁忙期でその日一人で行く予定だったので家を出る直前に検査薬やっちゃいました。1回目の真っ白があったからか、比較的落ち着いてたと思います。一分後の検査薬に陽性の線が出ても比較的冷静でした。初めて見た妊娠検査薬の陽性。え、これ本当に妊娠検査薬か?排卵検査薬じゃないよね?(そもそも排卵検査薬なら今線は出ない)ってしばらく考えたけど、う、うん、比較的…落ち着いて、た…?
いや落ち着いてなかったです。おしっこめっちゃ着いてるのに拭きもしないで写真撮ってました。誰にも見せらんないじゃん…。ここにも掲載できないじゃん…。
だけど頭の片隅に冷静な私がいるのも事実なんですよね。前回、着床しててもhCGが18という落第点を押されたがために、先生の口から陽性判定と聞くまでは何も信じられない。このポンコツな身体、まったく信じられない。
「うん、おめでとう、妊娠してます」
言 っ て く れ た 。
ア……ニンシン……シテイタ……ワタシ……ニンシン……。
年末ということもあり、次回の診察は年明け7日。二週間というのがなんとも不安を煽ってくるわけなんですけど、看護士さんから「実家に帰れますね!」って言ってもらったので「ほんとそれ」ってなりました。不安とか二の次だった。
まぁでも、不安は急に襲ってきますよね。
情勢楽観を許さじ。
実家への帰省
12/28(土)~1/6(月)で700km離れた実家への帰省。夫が年始に同窓会があるとのことだったので、今回は私一人での帰省。いや最高だな。別に夫が一緒に来ても毎回ほったらかし(夫と両親仲が良いので一緒にいてもお互い苦じゃないらしい)(私は同居してる今でも夫抜きで義両親というのはしんどいのに)なのでいいんですけどね。でもなんか!いいじゃん!一人!夫の目を気にせずマッマに甘えられる!!一人嬉しい!!(マザコン)
妊娠判定されたことはとりあえず夫と義妹にだけ話しました。何があるか分からないから安定期までお互いの両親には話さないでおこうということに。
車移動1時間半、新幹線移動4時間弱、車移動1時間半。移動時間7時間かけて一年ぶりの実家。はー、ちょう落ち着く~~~。全然使われてない自分の部屋、落ち着く~~~。早くお風呂入って部屋着に着替えてごろごろしたい~~~。
よっしゃ、トイレ行こう。
出血。
「えっ」
鮮血。
「えっ」
ルティナスで尿漏れかと思うくらいおりものと錠剤滓が出ちゃうので毎日ナプキン着けてるんですね。血がね、着いてたんですね。一気にパニックですよね。
どどどどどどどうし、どうしt、ち、血が、えええええあええ????????おなか、痛くないよね?え、いたくない、けど、あれ、痛い気がしてきた、え、え、ええ?????なん、で、なんで?????はわわわわわわどうしたらいいのあわあわわわ!!!!!!!!!
もうね、病院行けない距離ですよ。実家近所の産婦人科だって年末年始の休みに入ってますよ。何したらいいんだ。どうしよう。どうしよう。全然分からない、どうしよう。
「ソウダ、検査薬シヨウ…!」
うん?
いや、でもその時はそれがベストだと思った。だから母が買い物行くっていうのについて行った。ドラッグストアへ寄ってくれって言った。君が頼りだチェックワン。
母がまだドラッグストアで買い物してる間、車の中にいたら夫から電話がありました。実は出血に気づいてからパニクって何度か電話を掛けてたんだけど一向に出る気配なく。折り返しで掛かってきた電話を取った瞬間、泣いていた。
私「うう、うああ、あああああ」
夫「えっ、なに、なに」
私「うぐぅ、うえ、うええぇ、じゅ、じゅっげづじだ」
夫「は?なんて?」
私「しゅ、っけつ、うぅ、血が、で、でた…っ」
駐車場、車の横を通る人間どもの怪訝な顔よ。
夫は私が渡しておいた病院からの「妊娠した皆さんへ」みたいな紙を一所懸命読んでくれた。膣錠を入れる際にアプリケーターで傷ついた箇所から出血して、それがおりものと一緒に排出されるから血が沢山出てるみたいに見えることがあるらしいよとか、なんかもう、一番不安にならないところをかいつまんで読んでくれて、私もようやく落ち着きました。
夫「とりあえず横になって身体を休めろって」
私「うぅ、うぅ…っ」
夫「泣いてたらお義母さんに色々バレるだろ」
私「ふぅぅぅ…」
夫「心配させないように、悟られないように」
私「ふぐぅ、う、うっ」
母「なに泣いてるの」
私「!!!!!」
夫「!!!!!」
私「な、泣いてないっ、ぶふっ」
母「びーびー泣いてるじゃん。体調悪いの?妊娠してるの?」
私「!!!???(母親の勘!!??まじかすげえ!!)」
夫「!!!???(←会話めっちゃ聞こえてたらしい)」
私「に、にんし、んっ、してないっ!」
母「じゃあなんでカゴに妊娠検査薬入れたの?」
え?
私「あっ…(普通にカゴに入れてたー!)」
夫「……お前それはねぇわ」
入れるじゃん、カゴに。甘えるじゃん、マッマに。久しぶりに実家帰って一緒に買い物行ったら勝手にカゴにお菓子とか入れちゃうじゃん。それじゃん。するじゃん。葉酸忘れたから葉酸サプリと妊娠検査薬ぶっ込んで駐車場戻るじゃん。うける…。
とりあえず母親には不妊治療で体外受精にステップアップして、2回目の移植をしたことを話しました。でもまだ期待されたくないから、年明けに判定が出るって所々にフェイクを混ぜて。まぁうちの母親はPCもスマホもタブレットも使いこなす60代で、遠い昔にはggrksをまともに喰らったような人間なので全容詳らかに把握するのはすぐだろうなとは思ってます。お金のこととか諸々。そして援助を申し出るんだ…。
本筋からズレるけど、私は治療費としてどちらの親からもお金を貰いたくないし絶対貰わないです。まぁそれとは違う生活の部分で随分助けられてはいるんだけど(間接的に治療費の援助ってことになるかもしれないがそう考えないようにしている)(勿論そういった助けは有り難く頂戴してるし受け容れてる)、私が生むのは私と夫の子だから後々何か言われたくないという気持ちが大きいのかも知れない。特に夫側は凝り固まった田舎のじじばば要素が強くて視野も狭いから、子供が生まれた場合名前つけるところから論争になりそう。
というわけで、出血大パニックがあったせいで実母にはある程度体調に気をつけたい時期であることがバレた。
でもそれが功を奏したっぽくて、実家でごろごろしてても怒られることなくゆっくりと年末年始すごせました。旧年に母方の叔父が急逝したこともあって親戚一同あけおめムードではなく集まりも自粛されてたし、いや本当にのんびりのびのび過ごせたな。
けど出血は一度じゃなかったんですよね。最初の出血は翌日の夜には姿を消したものの、元旦の朝再び舞い降りるっていう。1日の朝から3日の朝くらいまではナプキンに血がついてたかな。どちらもそれほど大量ってわけじゃなかったけど、それでも不安は不安。だけど7日の胎嚢確認までは何もできないよなーって思って、どこか諦めた想いを持ちながら穏やかに過ごしたのでした。
ちなみにこの頃も体温はガタガタ。しかも低い。ネコもいなくて布団を取られることもないから、もうちょっと高温でもいいはずなのに…っていうもやもやに支配され、もうこれ熱測らない方がいいんじゃないか…とすら思ってました。そして2~3日に1回は妊娠検査薬を試してしまう。
12/28 BT17 … 36.34 (夕方:出血/陽性)
12/29 BT18 … 36.66 (夜:血止)
12/30 BT19 … 36.80
12/31 BT20 … 36.44 (陽性)
1/1 BT21 … 36.61 (朝:出血)
1/2 BT22 … 36.60
1/3 BT23 … 36.64 (朝:血止/陽性)
1/4 BT24 … 36.82
1/5 BT25 … 36.56
1/6 BT26 … 36.63 (陽性)
胎嚢確認
1/7 BT27
正月休みも明けていざ病院。不安ではあるんだけど心のどこかで「大丈夫」って思ってる節もあって、何だかよく分からない気分のまま向かいました。
先生に休み中何かあったか聞かれて、基礎体温表にも記入したんだけど不正出血のようなものがあったことを話して、まぁとりあえずエコーしてみましょうねってことに。
不正出血もあったことだし、自分でいろいろ調べるじゃないですか。そしたらこの辺りの周期なら心拍も確認できるって書いてあったんですね。心拍数ってどうやって調べるんだろう。エコーで分かるのかな。そもそも胎嚢ちゃんとあるのかな。あの出血と一緒に流れたかもしれない…でも一応陽性判定のままだしな…って台の上でも頭ぐるぐる。
先生「うん、出血ももうないみたいだし、アプリケーター(膣剤の)で傷がついちゃっただけだね」
あ、よかった。
先生「胎嚢もちゃんと確認できてます」
え!よかった!
先生「…胎嚢、うん、大きいね、……うん、えーと、うん…」
……?
先生「中が……見えない、か、…えーと、」
中…?
先生「ちょっと、うーん、……うん、…来週もう一回見てみようか」
え、なに?
なに?
?????
BT27で胎嚢の大きさは32.3mmでした。しかし中にいるはずの胎芽が見えない。見えない。先生曰く、来週なら見えるはずとのことで、その辺りの予備知識を蓄えていなかった私は怪しくなり始めた雲行きに呼吸するの忘れてました。
待合室でただ呆然と「BT27 心拍確認できない」「BT27 胎芽見えない」「BT27 胎芽の大きさ」でググる。ひたすらググる。妊娠継続され無事に出産に至った方はやっぱりBT27で心拍も確認出来てるし胎芽の大きさも計測されてる。
あ、こりゃあかん。
心が閉じていく。
しまいには「胎嚢 からっぽ」でググる始末。
もうずっと気持ちが落ち込んだまま。夫にも中が見えないらしいと話し、もらったエコー写真を出して胎嚢の中が真っ黒なのを見せました。比較対象に誰ともわからない胎芽in胎嚢の写真をググって見せて、夫に見せているのにまた自分でダメージを受ける。
(胎嚢の写真)
からっぽという目で見える事実に打ちひしがれながらも、先生が言ってくれた「来週なら見えるはず」っていう言葉に私はずっと縋り付いてました。
夫は夫で「俺とお前でそんなに上手くいくはずねぇよ」っていう身も蓋もないこと(本人は慰めの言葉だと思っている)(ダメなことは想定内だから嘆かないで次頑張ろう的なアレ)を言ってくるし、ばかやろうここまで上手くいってなかったんだからどこかで上手くいかなきゃずっとダメダメなんじゃないのかよだったら最初から体外受精進もうとか言うなよって気持ちがぐちゃぐちゃなのであった…。
1/8 BT28 … 36.90
1/9 BT29 … 36.73
1/10 BT30 … 36.53
1/11 BT31 … 36.94 (夜:出血)
1/12 BT32 … 36.88
1/13 BT33 … 36.68 (朝:血止)
1/14 BT34 … 36.72
体温が高くても、ちょっとしためまいのような症状があっても、陽性で妊娠しているという自覚を身体がしていても、胎嚢の中が空っぽだったら、それは、妊娠じゃない…(ネガティブ)
心拍確認
1/15 BT35
気持ちはね、死刑宣告。一週間生きた心地ゼロ。もう空っぽなものとして考えてる。空っぽであるが故の虚無。死んだ魚の目。
今回もまた出血があったのを報告してからエコー検査。パンツぬぎぬぎしてぱっかー。
先生「出血は止まってますね」
この時点でモニターに目を向けられないわたし。
先生「えーと、胎嚢は40.5mm…」
モニターに目を向けられないばかりか泣きそうである。
先生「ここが頭で、こっちがお尻になりますね」
泣きそうになってため息を、………え?
先生「えーと、13.3mm…」
え、
え?
私「え?いる?」
先生「いるね…。そうだね、先週見えなかったね…。います」
います
じゃねえわ。
お前先週からっぽ宣言したこと忘れてただろ。
私「いる?」
先生「いる。大きさは良好です。こんなに大きいのに何で先週見えなかったのかな。心拍測るね」
(胎芽の写真)
心拍計測して、心拍もしっかりしてるから順調だと言われました。
お、おお…。良かった。良かったけども。あのぼろぼろに泣き明かした一週間は一体…?まぁ結果良ければ全て良しなんだけど、車で待機している夫になんて言えばいいの。私より深刻な顔で今頃ドラクエウォークと睨めっこしてるよ(ダメ夫)
この時点で7w5dって言ってたかもしれない。ちゃんと聞いてなかったよ覚えてない。ともかく来週また来院となりまして、そこで出産予定日を出しますとのことでした。
安定期もまだ先だし、安定期が来たとしても信用のならない私の身体。36年も付き合ってたらこいつが全てを順調にこなすなんてどだい無理な話ってことも重々承知してます。それでも細心の注意を払って、なんとか出産にまでこぎつけたいな!
頑張れわたしのワガママボディ!!
妊活履歴のようなもの(進化版)
前の記事、2016年5月ですってよ。
いつ頃からか忘れたけど、Twitterも開いていなかったなぁと遠い目。
最近2回目の移植を行ったので思うこともあり、以前前後編で書いた妊活履歴の進化版(2016年6月以降のこと)をちょろちょろっと残しておこうという記事です。
前回の記事を書いていた時に通い始めた不妊治療専門クリニック(以下Aクリニック)は2017年の夏から行かなくなりました。旦那の従弟のお嫁さんが紹介してくれた別の病院(以下B医院)へ転院。2017年の秋。そのお嫁さんは不妊治療で授かった3人の子持ちで当時は2人目が生まれたばっかりだったんだけど、私が通ってたB医院の方がいいと思う!って即決というか、うだうだ悩む私の代わりに予約を取ってくれたのでした。
2017年秋から今の病院
転院後、まずしたことは検査。不妊治療の検査は以前通っていた所でしたかもしれないけど、うちの病院でもいちからしてもらいますって言われて、いやー、Aクリニックより全然検査項目多いし精密だし、まさかの子宮頸管に腫瘍が見つかって掻把手術となりました。部分麻酔利いてるの!?ってくらい痛かった。でも腫瘍は悪性じゃなかったので一安心。
そこから、Aクリニックでも行ったタイミングを数か月と人工受精を3回。人工受精は6回程度を目安に一区切りというスタンスらしくて、AクリニックとB医院合わせて6回になったところで人工受精から体外受精へ。
AIH 1回目/2017年4月(Aクリニック)
AIH 2回目/2017年6月(Aクリニック)
AIH 3回目/2017年8月(Aクリニック)
AIH 4回目/2018年11月(B医院)
AIH 5回目/2018年12月(B医院)
AIH 6回目/2019年1月(B医院)
ダイエット
AクリニックでもB医院でも言われていた「痩せなさい」をやっと実行に移したのは2018年の秋でした。職場の健康診断で仕事中に保健士さんからの指導が入るというやっちまった感。肝臓の数値がびっくりするくらい悪くて脂肪肝気味なので、いい大人が食生活を見直せと怒られる。
そこから食事制限と運動で2019年の夏までに11kg減。痩せたら周囲からの評価も上々で、その年の健康診断でも褒められたので私の人生の栄華はそこだったのではないかと思います。
ちなみにダイエットは糖質制限、あとちょっとした運動。いや、運動はそんなにやってなかったな……そんなにっていうか全然やってなかったな…?(見栄っ張り)
糖質制限でした!私は幼いころからごはん大好き娘だったので米を我慢するのそうとうキツかったです。あと甘いものを控えて、果物もあんまり取らないようにしてました。だけどストレスが大敵ってのも分かっていたので、自分を甘やかす部分もちゃんと設けたのが成功の鍵だったと思います。
まず朝はごはんを食べる。納豆大好きだから、気が向いたら2杯食べてる時もありました。だけどその代わり、お昼と夜はお米、パン、麺類は食べない。昼は糖質オフのグラノーラとヨーグルト食べてる時期もあったり、なんでもいいから野菜ぶっこんでスープにして食べてた時期もありました。食べないって時も。夜はだいたい家族と同じ献立でおかずのみというスタンス。食後のデザートにお菓子だとかケーキは食べない。果物はほかの家族の半分。間食もできるだけ控えて、でもどうしようもない時は糖質オフのお菓子を食べる。
それと、これが一番大事なんですけど、これだけ制限して頑張ってるんだから外出した日は好きなだけ食べる!朝も昼も夜も関係ない。なんだったらティータイムも含めて好きなものを食べたいだけ食べる!
締め付けすぎないっていうのが良かったのか、成功はね、してます。
でももうちょっと運動すればよかったかな。まぁこれは今からでもね。
2019年夏から体外受精の挑戦
2019年の夏に初めての採卵を行いました。
ヒーーーーーハーーーーー痛かったーーーーー!!!!!
痛くないわけない~~~~~!!!
2018年くらいに子宮頸管腫瘍掻爬手術もしたんですけど(ポリープ除去)それと同じくらい痛かったよなんだあれ~~~~~!!!私は痛みに弱いんだ~~~~~!!!
【採卵】 2019年8月
採卵数: 21(成熟卵)
⇒ うち c-IVF: 11 , ICSI: 10
⇒ 受精 c-IVF: 2 , ICSI: 9
⇒ 初期胚 c-IVF: 2 , ICSI: 9
⇒ 胚盤胞 c-IVF: 0 , ICSI: 6
⇒ 凍結数: 6 (凍結5日)
[グレード 5aa: 3 , 5ab: 1 , 4ab: 1 , 3ba: 1]
【移植/1回目】 2019年10月
⇒ 着床したけどhCG18で妊娠継続不可
【移植/2回目】 2019年12月
⇒ 12月下旬に判定予定
そんなこんなで、現在2回目移植の判定待ちです。1回目の判定日に検査薬使って真っ白だった恐怖が本当に忘れられない。めちゃめちゃ金かけたのにダメだったのか……っていろんな方向からショックを受けて(心の準備はあったけど)(お腹ちょう痛かったりしたし)(どす黒い血も出てしまったし)しばらくは何も考えなかったな。
そんな中で、年末年始に実家に帰りたいなってぼんやり思ったんですね。だから次の移植は1月以降にしてもらおうと思って先生に打診したわけです。そしたら先生が「頑張れば年内にもう1回出来るよ」って言ってくれたもんだから、12月の2回目の移植と相成りました。
どのみち病院は休みだから陽性判定なら1月の2週目の来院、12月下旬に陰性判定ならそこからまた次の移植に向けてプラノバールとデュファストンで調整。実家に帰れる環境を作ってもらえて、本当にありがたい。もう転院したくないな。この病院で赤ちゃん授かりたい。
虎穴に入らずんば虎子を得ず
よしだ、肛門科へ
よしだ、大切なものを失う
あの子の子どもと私と誰か
あの子の子どもちょう可愛い
現れる母親という「第三者」
私は「第三者」の存在で卑屈になる
妊活履歴のようなもの(後編)
いざ夫婦で不妊専門CLへ
旦那の問題点
不妊治療とは
- タイミング
- 人工授精
- 体外受精
- 顕微授精